さつまいも


 貯蔵穴が出来たので、朝から薩摩芋掘り。根菜類は収穫期に幅があるのでナマクラ百姓には助かる。
畑では大きくなりすぎたオクラが風に揺れているが、実は収穫時期を逸する野菜が結構多かったりするのだ。
 
 芋はベニアズマ、ベニハルカ、安納芋の3種を栽培しているが、ベニハルカの畝は既に収穫済みで、今日はベニアズマの収穫。
殆ど手を掛けなかったのに大きく育った。薩摩芋は肥料を多くやったり、手を掛けすぎると葉ばかり繁って芋は大きくならない捻くれ者なので、放任主義が功を奏したようだ(^_^)
 
 薩摩芋には戦中戦後の食糧難のイメージがダブって嫌う人もあるが、その頃の当地では薩摩芋作りが盛んで、お茶やサツキが植わる畑も、一面の芋畑だったそうな。
そんな畑の中に、古河電工を始め、工場が集まっている一角があるが、そこはかって飛行場の一部であった。
終戦の時に、どのレベルの隊か判らないが、ある部隊長が先頭に立ち、家が焼けて帰る所の無い者や、農家の2,3男で帰っても居るべき所が無い者を集めて、飛行場を開墾したという。
1町歩毎に区画されて分け与えられたそうで、今も碁盤の目のように道路が通っている。作られた作物はもちろん薩摩芋であった(^_^)
 
 今日の百姓一句
天高く 芋も太りて 鍬軽し
           
              ハーブ・薬草 鈴鹿山麓 自然生村

倒産


今朝の新聞の地方版を見ていたら、四日市の理工産業が破産手続きの開始とありました。
さっそくネットで見ると、7月に自己破産をしていたのですね、田舎に引きこもっていると、情報に疎くなります。

関連のインターネット三重のhpを見ると、8月10日に「親会社が破産したが従来通り使用できる」とのお知らせで止まっており、サンコンピュータービジネス専門学校のhpでは来年度の学生募集停止のお知らせがありました。
地元の情報産業として頑張っていたのに残念です。その昔にコンピューター学校の人と交流があったが、自分たちとは直接関係無いところで募集中止になった事にはさぞや悔しかろうと察するに余りある。
事務の機械化の浪に乗って拡大を続けて来たが、普及と競争の激化で利益率が落ち、内部情報によると高利の資金にも手を出していたようで、よくある倒産のパターンを歩んだようだ。
時代の波に乗って社長の器以上に会社が大きくなると、時と共に潮目が変わっても過去の成長体験から抜けきれずに拡大路線を変えられないが、銀行に見切られて資金ショートを起し万歳をしてしまう。
これまでの人生で不渡りに泣かされた事が3度あるが、倒産は本人だけでなく周りを悲劇に巻き込むからやるせない。

かと言って、起業を恐れてはならないでしょう。
大企業や公務員だけで全ての労働者の雇用はできないので、皆が働く場所は皆で作らなくてはならない。日本経済の停滞を打ち破るのは積極的な起業であると思う。
理工産業の心ある人達も、自分たちで新たに創業し、雇用と顧客を守って貰いたいものだ。

芋穴


 薩摩芋の収穫準備にと、芋の貯蔵用穴を掘った。
薩摩芋は南方系の芋の為に、保存は10度Cが望ましく、5度前後の低温におくと腐敗が始まるので、農家は南側の軒先に穴を掘って貯蔵したが、適当な場所が無いので、デッドスペースとなっている松の木の下に掘る事にした。
長さ80センチ、幅60センチ、深さ70センチの穴を掘ったが、穴に入ると浅めの蛸壺壕だw

 塹壕ではないが、実家のある集落は傾斜地を背負っていたので、どこの家も戦争中はそこに防空壕を掘っており、戦後、冷蔵庫が普及するまでは壕を食品貯蔵庫としていた。
山の中に防空壕なんていらんだろうと笑うかもしれないが、現実には爆撃されて焼夷弾で焼けた家もあり、借りている山の畑にも焼夷弾が落ちて穴が開いたと聞かされた。
名古屋方面を夜間爆撃をしたB29が、帰りに余った爆弾を捨てていくのだが、どうせならと明かりの点いている所にと捨てていく(^_^;

 亀山には今も大きな防空壕が残っている
関の町の西北に観音山公園と言うのがあるが、そこには十数本のトンネルが残されているのだが、終戦前に地下工場として掘られた物だ。
完成前に終戦となり、やはり戦後は農家の野菜保存に利用されていたと言うが、今は柵で塞がれている。瑞浪市では化石公園の一部に組み込まれているが、関宿の町並みに近く、公園の中なので観光施設として利用すれば良いのにと思う。

 穴が掘りあがったら中程に丸太で土留枠を作って裏に矢板もどきを打ち込み、穴の縁を丸太で囲って蓋を被せて完成。
これで薩摩芋とヤーコンの保存準備はできた、明日からは芋掘り作戦開始だ。

鈴鹿植木祭り


今日は鈴鹿の秋の植木祭りに行ってきました。
2年間だったが農協の子会社で緑化工事や植木卸に従事し、イベントでの植木販売も行っていたのでこの雰囲気が懐かしい。
 
 植木生産者の方にはお世話になったので、少し鈴鹿の植木について書いてみよう。
鈴鹿川中流左岸は台地になっており、ヤマトタケル最後の地と伝えられ能褒野と呼ばれる広い原野であった。江戸幕府が崩壊して明治になった時に、その東北端の鞠鹿野と呼ばれる所に尾張の国より何家族かが入植してきたそうで、その後も増えていく。
 尾張藩の入植は城山三郎の小説『冬の派閥』の北海道は八雲町が有名だが、あちこちに入植していたようだ。
始めは陸稲やスイカ等を作っていたそうだが、明治37年ごろからスギやヒノキ等の山林苗木を生産するようになり、大正時代になると植木栽培が始まったと言う。
山林苗木については明治22年に亀山小林区署(後の営林署)が設置され、その後鈴鹿川対岸上流に住吉苗畑が設けられているので、技術指導等の関係があったと思われるのだが正確なところは判らない。

 戦中、戦後は芋などの食料生産をしていたが、住宅復興と共に植木栽培が盛んになって、昭和30年頃からサツキの量産を始め、特に東京オリンピックで大ブレークをした。
 従来のサツキは1本使いか、せいぜい小堀遠州で知られる大刈込で、局所的使用だったのが、道路や公園、ゴルフ場、ビル周り等で面的に使用されるようになり飛ぶように売れていく。
バブルの頃はそれが頂点となり、あちこちにサツキ御殿が建ち、平田にあったクラブ飛鳥野に行くと派手に札束を切る植木農家や業者で埋まったと言う。
 サツキは産地で1本300円で売れたが、稲沢の植木市場へ自分で持ち込むと450円もした時があったとか。300円としても坪25本栽培して1反で225万円になり、1町歩売れたら2250万円になるが、サツキの栽培には3年掛かるものの、3町歩所有は珍しくない。

 バブルは崩壊したが、植木生産者はそれぞれ工夫をして強かに生き残り、今回の植木市でも若い人が目立ったが、後継者がしっかりと育っているのが伺える。
 鈴鹿の植木は低木や下草類が主だが、高木類は減っているものの残ってはいる。今は一般的になったがコンテナ栽培と言われる不織布ポットを使った栽培方法は鈴鹿から全国に広まったものだ。
 自宅の庭木を切っている段階なので、新しい高木を買う気は無いが、金芽黄楊の値札を見ると25000円! 先週切ったうちの金芽黄楊の方が余程立派だったと悔しがる(^_^)
結局、購入したのはサクナとアロエとニンニク。

菊芋


少しご無沙汰気味の川畑1号へ薩摩芋を掘りに行くとキクイモの花が満開になっていた。
この花は派手な割には、今一つ風情が無い、たぶん背が高すぎるからだろう。
米原産でキク科ヒマワリ属だそうだから、花もヒマワリに似ており、高さは2m以上にもなるために、畑でも半分以上が風に耐えれず横になっている。

 利用するのはショウガの様な塊茎だが、キク科なので普通の芋とは異なり、デンプンはほとんど含まれないのでダイエットには最適の食品だと思う。
それに繊維質がタップリなので便秘にも良い。オマケに生の菊芋の主成分であるイヌリンは血糖値の上昇を抑える働きがあると期待されているのだ。
岐阜県泰阜村など、各地で村おこし作物として栽培されているが、今ひとつ普及していないのはどうしてだろう?
料理はキンピラや揚げ物、味噌漬け、煮物、牛乳煮、バター焼き、フライ、スープなど多彩に渡る。

 収穫は地上部が枯れてからなので、もう一月程後になるが、乾燥させてはダメなので、食べる分だけ掘っている。
料理方法を変えてもやはり飽きてくるので、残りはスライスして乾燥させ、粉末にするのだが、これをご飯や味噌汁などの料理に入れて使用している。
ダイエットには良いと判っていても、普及させるにはもう一つ工夫が必要なのだが、それが判らない。
満腹感があって、カロリーが少なく、美味しくするにはどうすれば良いだろう?
そんなのが出来たら、ノーベル賞は無理でも、大金持ちにはなれそうなのだが(^_^)

 今日の百姓一句
菊芋や 花に夢のせ 天高く

            鈴鹿山麓 自然生村


 今日も庭木の整理
庭で大きくなり過ぎた木を伐採する。残念ではあるが前に書いたように元気なうちに伐っておくのだ。

 先日は鉈の紹介をしたので今日は斧を見てもらおう。
一番上の斧は根切り斧と呼び、木の伐採に良く使ったものでるが、無銘の全鋼で古い物だ。
立木を切る場合、先ず、鋸で倒す方向に1/3程を切る。そして斧で斜めに切り込みを入れていくのだが、この時に使い、木の根元を切るので根切り斧と呼ばれる。
 この倒す方向に作られた切込を受口と呼ぶが、次いでその反対側で、受口の水平面より少し上の所から鋸で切っていく。
これを追口と呼ぶのだが、一挙には切らない。受口の切込に平行になるように鋸で切っていき、僅かに残すのだが、これをツル(弦)と呼ぶ。
このツルを少しづつ切って行くとメリメリと受口方向に傾いて倒れていくのでその間に安全な所に逃げるのだ(^_^)

 2番目と3番目は手斧で、ヨキとも呼ぶ。チエンソーを使う今の伐採では一番良く使われる斧であり、プロは柄の長さの違う手斧を何本も持っている。
受口の斜め切りもチェンソーで切るのだが、当然に立木も位置のエネルギーと重心がある。倒したい方向に重心があるとは限らないので追口を切進めると木の重みが鋸やチェンソーに圧し掛かり動かなくなる。
 これを咬まれると言うが、そんな時やそれを予防して矢と呼ばれるクサビを打ち込むのだが、それをこの手斧の頭で叩き込むのだ。
また、太い木は倒伐の時に、ツルを残して切り込んだ後は追口にこのクサビを打ち込んで木が傾きかけたらやはり逃げる。
斧ではあるが、実はハンマーとしての使用機会の方がずっと多い。だから手斧は軟鉄に鋼を鍛接した高額な物より、頭も鋼で叩いても変形しにくく、ハンマー部分のある全鋼製が良い。
 じゃ、始めからハンマーを持てばよいではないかとの意見も出ようが、チェンソーが木に咬まれて、クサビも受け付けない時があり、その時は斧で木を切り込んでチェンソーを救出する。
今のきこりさんは、手にチェンソーを持ち、腰袋に混合油とチェンソーオイル、そしてこの手斧を入れて伐採作業を行う。

 3番目は銀杏型枝打ち斧である。枝打ちには柄の長いヒツなど、色々な形状があるが、日本の植林は殆ど枝打期が過ぎているので余り使われない。枝打ちは木に登っての作業の為に、長切れする青鋼入り。
 チェンソーも2台あるが、住宅地のしかも土曜日に大きな音を出すのは憚れるので、今日は鋸と斧で金芽黄楊とモミジを倒した。

 今日の百姓一句
庭木切る 斧も重きや 紅葉かな

甘い風


畑に水遣りに行くと、ステビアが一斉に花を付けていた。
薬草栽培の本命をアシュワガンダに定め、その苦さを和らげる為に、甘茶や甘草、羅漢果等の甘み成分を持つ薬草を栽培してこれが一番と辿り付いたのがステビアである。
 このステビアの大量繁殖は少しやっかいだ。
種を蒔いても発芽率が非常に悪いうえに、せっかく発芽しても甘い種から甘いのが生まれるとは限らず、苦い奴が出てくる。
そこでクーロン=挿し芽で増やす事になるが、葉の出揃った6月、7月に季節が限られて量産が難しい。
成長温度は20度ぐらいなので、秋でもやれそうに思うのだが、花芽が出来る頃になると発根しないのだ。
日照時間が短くなると繁殖の力が花に向かって根が出てこないのだそうである。

 詳しくは、愛媛県農業試験所が1973年から75年に行った「四国地域におけるステビアの栽培に関する研究」を検索して読んでもらいたい。
何回かに渡ってステビアに関する研究発表が成されており、栽培には非常に役に立つている。
愛媛県農業試験所ばかりでなく、薬草については各地の農業試験所や林業試験所の研究発表が助かっており、古い研究発表も写真複写のPDF形式で公表されるようになったのが嬉しい。

 前に、日照時間が短くなると季節性の欝になる人があると書いたが、動物でも日照時間に強く反応するのがいる。
身近で顕著なのは猫だろう。猫の雌は日照時間が短くなると性欲を無くして妊娠しなくなると言う。一方の雄猫は年中やる気満々でいつでもOKなのは人間と一緒だ。
日照時間が延びてくると逆に植物も動物も一斉に生殖へ目覚めるが、人間もこの名残は有るようで、五月病として形を変えて現れるとか。
植物ホルモンと動物ホルモンは全く違う成分だが、働きは似ていて、日照時間で性スイッチのオンオフ機能があるらしい。

 人の日照不足はビタミンD不足につながり、秋の憂い=冬季うつ病に関係しているようだが、他にも高血圧や癌、歯周病、末梢動脈疾患その他の病気に掛かり易くなるそうだ。
キーボードを捨てよ 街に出よう! 恋のスイッチが入るかもしれない?

 今日の百姓一句
ステビアに 吹くは甘きか 秋の風

         薬草・ハーブ 鈴鹿山麓 自然生村