茄子の花


今日は鈴鹿サーキットでF1レースの決勝
 我が家は距離はあるものの鈴鹿川を挟んで向かい合った丘陵にある為に、サーキットからのエンジン音が聞こえる
かっては大きなレースがある度に鈴鹿サーキットには10万を越える客が全国から集まり、終了後はいたる所で渋滞が起きた物だが、今はその熱気は無い。
 自動車が夢の対象であった頃は、人はそのスピードに興奮したが、生活の道具になった今では、スピードを出す事を悪とすらされているようだ。
車の暴走を抑えるだけでなく、社会全体を管理しようとして、活力をも押さえ込んでしまっているのではないだろうか? 若者からスリルとスピードを取り上げ、商業主義に彩られたセックスだけが浮遊しているように思われる。

 バイクの8時間耐久レースには全国から若者が集まり、隣の県民の森や鈴鹿川の河原でキャンプをし、酒を飲んでは歌い、好きなやつは河原でトライアルレースを始めたものだ。
レースを見るだけでなく、参加し共有する喜びがあったが、それは管理できずに「金にならない」のでやがて封じ籠められ、森や河原は土木事業として綺麗に整備されていった。
五木寛之の「冬のひまわり」には鈴鹿と時代の熱気が書かれている。
また五木氏と鈴鹿の関わりを残す「五木文庫 鈴鹿」(http://www.bunkajyuku.or.jp/book.html)と言うのがあるが、元市長が関係するので多少の割引は必要かな(^_^;

 しかし、レースとは関係なく今日も午後から畑に行くが、こちらの方は団地のある丘陵の影になっており、あの甲高いF1の排気音は聞こえてこない。
それでも日も傾いてきた頃に花火の上がる音がした。喚声は聞こえないがフィニッシュだろう。
見えはしないのだが、それでもサーキットの方を向くと、自分の長い影先に1本だけ残された茄子が、日暮れは肌寒い秋の風に花を揺らせていた。

 今日の百姓一句
秋深し 流石に無駄か 茄子の花

        鈴鹿山麓 自然生村