帰農ノススメ


 自宅から5キロ程離れた、実家から借りている山の畑に行った。
既に両親や兄も亡くなっており、後を継いだ甥は私が住んでいる隣の団地に家を建て、週末に通いながら6反の田圃を耕している。
集落に田圃は残っているが、どこの家も子供達はみんな生家を離れて団地に居を構へ、残るはお年寄り、ばかりとなっている。
親の世代が亡くなれば、水の管理が出来なくなり、一挙に耕地は放棄される事だろう。既に田の半分は荒れ、畑は殆ど山に戻っている。

 決して山奥ではない。写真左丘陵2km奥に豊田織機のテストコースが決まり、それに続く山裾にはシャープ亀山工場を始めとした工業団地が控えているのだ。
わずかな距離であっても田舎は捨てられる。
恐らく子供が結婚をすると、夫の両親との同居を嫌うお嫁さんが田舎に住む事を拒否するのが一番の理由だろう(^_^)

 集落に人影は薄く、田畑は荒れているのに対し、私が自宅そばで借りている畑の周りでは、農作業に勤しむ姿が絶えない。
多くが団地に住む団塊世代で、規模は小さいものの定年帰農と言うやつだ。
みなさん研究熱心で、意欲も高く耕作地の拡大を望んでいる。
一方で耕す人が無く、片方で耕地を求めているのだから、これを繋ぐ何か良い方策があればよいのだが。
しかし、耕地を広げても自家消費には限りがあるので、それ程は拡大しないだろうと思う。

 作物をお金に変えれれば一番良いのだが、お金を稼ぐのはプロであり、どんな道であろうと簡単ではない。
グループを作って、現役時代に取った杵柄を活かし、生産向上や商品化に販路開拓と、会社ゴッコ?をすれば、儲からなくても健康とボケの防止にはなると思うが(^_^)
土地(耕作放棄地)、労働(定年退職者)、資本(年金)の生産三要素が眠っている。
かっての青年よ 再び荒野を目指せ(^_^;

 今日の百姓一句
ふるさとは 曇る刈田に 人も無く

                   鈴鹿山麓 自然生村