雪中行


今朝の鈴鹿は雪
犬は喜び、庭駆け巡るらしいが、爺さんだって明るい雪景色にはどこか心動かされるものがある。かの芭蕉すら「いざ行む雪見にころぶ所まで」と(^_^)
 ♪雪の進軍氷を踏んでどれが河やら道さえ知れず 気分だけは重いザックを背負い深雪を踏みしめて登った遠い昔の雪山登山、ゴム長靴を履いて雪を蹴散らし近所を散歩
我が家の下にある池に回ると、鴨が泳いでいた。尻尾の方に白いラインカが見えるのでカルガモかな?
 体が冷えると血圧が上がるので年寄りに寒さは大敵と、雪中行進は早々と退却。転ぶ所まで行く根性もなく、天はとっくに我を見放している。

ヤーコン掘り


 今日は吹く風は冷たいが空は晴れており、比較的気持ちのよい冬の日だ。
写真は畑より少し西に行って撮った鈴鹿南部の山々。
我が家は貧乏で、流行のコンパクト一眼レフはとても買えずに今も重いオリンパス8080を使い続けており、それにコンバージョンワイドレンズを付けて撮ったもの。
右端がいつもの能褒野稜で、中央を横切るのは安楽側右岸堤防、中央の山が野登山。頂上は雪がチラついていて、滋賀県は曇っているようだ。

 農作業の方は畑を整理するために、掘残してあったヤーコンを残らず掘りあげた。肥料袋に3つ半あったが、別の畑にまだ掘ってないのがあり、処理に悩む(^_^;
この畑のヤーコンはサラダオトメ、サラダオカメ、アンデスの雪、在来種の4種類をテスト栽培していたものである。

 一番収穫が多かったのはサラダオカメで、もっとも少なかったのはサラダオトメだった。
ヤーコンは掘らずに畑に置いて置くとひび割れをするのだが、それが一番少なく表面が綺麗なのはサラダオトメで一番酷かったのは在来種であった。

栽培テストの結果、我が家で今年からヤーコンの在来種を栽培する意味は無いとの結論に達した(^_^) 3品種はいずれも旧四国農試が開発したものだが、さすがと言えよう。
味は未だ食べ比べてない。

 旧四国農試の評では
サラダオトメ:味はちょっと落ちるが、色が白く水分が多いので、サラダや酢の物等の生食に適する。早期肥大性に乏しく早掘り栽培には適さないが、遅掘りしても裂開程度の増加が少なく、貯蔵性がよい
サラダオカメ:サラダに適し、塊根の肉色がオレンジ色で糖含量が高く、フラクオリゴ糖も高含量であり、極めて多収性である。
アンデスの雪:塊根肉色が極めて白く、貯蔵性に優れる。

 味は在来種のペルーA群が一番良いらしい、オイオイ、やっぱり今年も作らなければいけないぞ(^_^)

萱刈


 西瓜の下敷きや夏野菜の蒸散防止に藁が欲しい時が良くあるのだが、近頃は農家もコンバインを使うので、藁が無くて困る。
川畑1号で周りを見回していて気がついた。目の前にイネ科の植物が一杯あるじゃないか!
そう、周りの耕作放棄地にススキが一杯生えているのだ。硬いし、長いが使えない事はないだろう。と、言うわけで今日はススキ=萱=茅を刈った。

 そう言えば、辻井喬の小説に『萱刈』と言うのがあったな。頭の悪い私にはちょいと理解できない難しさがあったが、彼は政治や経済を超越し、身体に染み付いた伝統文化への希望を、かっては重用しながら今は見捨てられている萱を題材にして問いかけたと理解したがどうだろう?
今回の萱刈りも身体に流れる百姓の血がススキを見て反応したのだろう(^_^)
東京にいた時は、勤めも住まいも地下鉄日比谷線だったので、茅場町には馴染みが深かった。屋根葺材料の茅を扱う店が多かったからだそうだが、今も茅葺の伊勢神宮は本物の広い茅場を持っている(^_^)
伊勢神宮では20年に1回の遷宮の為に、毎年ススキを刈っては大きな倉庫に保存しておくそうだが、そんな施設の無い我が家では、刈るのは良いがどう保存したものか?

 横にして野晒しにしておくと腐ったり醗酵するので、立にしておけば良いだろうと、杭を打ち込んで、それにススキの束を括りつけた。藁の保存にはスズミ(ススミ、ツツミ)と言うのがあって、子供の頃には良く登って遊んだものだが残念ながら作り方をしらない。
ススキにも同じような物があるはずだが、既に集落に茅葺屋根の家は1軒だけだったので保存しているのを見た事が無い。作った物はぶかっこうだが、高さは2.5m以上あって目立つ。散歩に通りかかった人に何ですかと尋ねられた(^_^)
世界中に藁人形に火を点けて燃やす祭りがあったと思うが、こうしてみるとどこか理解ができる。元々は原始宗教として、人形に悪霊を託して燃やした物ではないいだろうか?

これまでの悪運を焼き払うべく、火をつけたい衝動を抑えて(^_^)畑の整地に勤しんだ。

帰農


今日も川畑2号の改良?である。
湿気が多いので、周りの溝を深くして、畑の中央を貫く溝を新に掘り、従来は畑の周りを迂回して水下へ流れていた雨水を、直流させる事で滞水をしないようにした。
そして中央排水溝に流れ込むように十文字に溝を掘る。写真では右が水上で左が水下。従来は背中側や右手奥にある隣地の水も道路側溝まで流れて、左側へと下っていた。
やたらに深い溝を作ると管理機の操作に不便なので、本当はもっと深く掘ってモミガラを入れ、土を被せて暗渠にしたいのだが、モミガラが無い。
溝の底がやや赤いのは粘土で、周りは畑で地主さんも畑だったと言うが、以前は田圃だったと思う。右隣の畑の向こうには、水は流れていないがコンクリート製の水路もある。

 写真左奥のこんもりと繁る森は安楽川(昔はこの辺りを和泉川と呼んでいた)越しに見える、ヤマトタケルの墓とされている能褒野古墳であり、森の下がタケルの妻子が泣き叫んで悲しんだ田圃にあたる。
白鳥になったタケルは左から右へと飛んで、人々は田の中を追いかけ、やがて高く舞い上がって海へと向かったと伝えられている。

 陵墓のあるあの辺りを名越と呼ぶが、元は勿越でタケルが川を越せなかったからとの説もあるがどうだろう?
墓域から100メートル程東(写真で右)に名具志神社と言うのがあったそうで、タケルの后であった弟橘媛を祀り、その傍らに小天狗塚があり、媛の遺品を埋葬したとか?
また、陵墓からそれ程離れてない川崎の集落には県神社があり、タケルと弟橘媛の息子である建見子王(若建王)を祀っているから、辺りで一番大きいからとの理由で選ばれたものの、この陵墓がヤマトタケルの墓では無いとも言い切れない。

 この陵墓の左で御幣川が安楽川に合流するが、ここから源流の椿神社に至る御幣川流域を古くは英多(アガタ)郷と呼んだが、タケルの率いてきた軍団はそこを支配地として留められたのではないだろうか?
郷内にある長瀬神社の武備塚はタケルの墓であると言う説もあるが、近年ではタケルの東征に従った吉備武彦や大伴武日の墓であるとの説が強い
処遇の道の無い強力な軍団を都に戻すのは危険だし、さりとて粗末にも扱えないので、名目上にタケルの幼児である建見子王を県主としてタケルの利権を保ち、部下たちに支配を任せたと考えるのはうがち過ぎだろうか?

 そんな古くから耕された田畑であるが、耕作放棄地が多い。しかし大きな団地に近いので、それを借りて定年後を無聊の慰みに耕すご同輩もまた多い(^_^)
定年帰農?と言う訳であるが、タケルに従っていた兵士たちも帰農し、この地で鍬を振るっていたと考えれば作業も楽しい。

石菖根


 今日は鈴鹿颪が吹きすさぶ寒い一日だったが、日和見主義なので風が弱まるのを待ち、昼過ぎにちょいとだけ改造中の薬草苗場へ行く
草を制するには草をもって制せよ、と言う訳で、タマリュウやジャノヒゲなど、緻密に根を張り他を寄せ付けない植物で覆う作戦の実施中だが、今日は、西隣の畑の境にある溝へ、自宅庭の池で育てていた、やはり根が緻密に繁茂する石菖を植えた。
石菖はやや日陰の清流に生へ菖蒲を小さくしたような物なので、西日が当たり普段は水も無い溝で育つかどうか少し心配だが、庭に植えたりもするので草押さえと土留めの役ぐらいは果たすだろう?

 何度か話題にしているのも、この石菖は大いに利用を勧めたい薬草の一つだからだ。
採取したら根と葉を切り分け、根からヒゲ根を取り除き、スライスして乾燥すると、漢方で言う石菖根となる。これを煎じたり、粉にして服用すると物忘れや健忘症の改善、健胃、リューマチ、鎮痛、鎮静などに効果があると言うのだ。
良く洗って生のまま焼酎に漬ければ1週間から10日で石菖酒ができるので、それを飲んでも効果があるらしい。

 個人が民間薬として利用するなら、直接摂取するより浴料として利用するのが良いだろう
 端午の節句には菖蒲湯に入る慣わしがあるが、元々は菖蒲ではなくこの石菖だったのを、臭いがきつ過ぎるので菖蒲になったと伝えられている。
それだけに効果もあると言う訳で、乾燥して保存をし、使用は30g程を使い古した靴下やストッキングなどに入れ、薬缶や鍋で15分ぐらい煮立て、煮汁を靴下ごと浴槽に入れてお風呂へ入れば、良い臭いに包まれ、身体をポカポカと暖め、冷え症、血行促進による肩こり、腰痛、疲労回復に非常に効果があるとか。
 山里の人は清流に、都会の人は薬屋さんに行けば入手できるので、寒い冬の夜の楽しみに、一つ試してみるのも良いと思うのだが・・・

薬草畑


今日は午後から川畑2号地の一角にあるミニ薬草園の草削りをする。前から作ってあったのだが、草が茫々で地主のお婆さんから綺麗にしろと小言を頂いていたのだ(^_^;
今年は少し綺麗にして、他人様にも見て貰えるようにしたいと考えており、住宅地にも近いので散歩の人に楽しんで貰えれば良いと思っているのだが、夏草の攻撃に勝てるかどうか怪しい。

 薬草の植えてある小さな区画が40程あり、既に消えているのも多いので補植もしたが、やはり名札とちょっとした説明をつけなければ薬草園としての意味がないだろう。
身の周りにあるような草木が薬草でもあると言うコンセプトを考えているが、どこにでもあるような物ばかりだと面白くないから難しい。
それにここに薬草があると知れ渡ると問題も出てくるだろう。花盗人に罪は無いと言うが、和歌を返す粋人ならともかく、ニチニチソウを栽培している知人は夜間にトラックを乗り付けてゴッソリと刈り取られたと言う。
希少種や毒草はここで栽培しないとしても、となりの畑の量産ハーブや機能性野菜が荒らされると困る。

 何れにしても最大の敵は花盗人ではなく、雑草である事は確かだ。
薬草公園や製薬会社の薬草園は何人ものパートさんが毎日のように草取りをしているが、こっちにはそんな暇も金も無いので、適当に草取りをするしか無い。
少しでも草取りの手間を省くために雑草抑えのグランドカバーとして、やはり薬草でもあるタマリュウを敷き詰めようと思うのだが調べてみると苗は5、60ポット程で、自宅の庭のタマリュウを剥がして植えるとしても、バラした苗を大きな間隔で植えるしかなく、やはり数年は雑草との戦いが避けられないようだ。

 そんな事を考えながら作業をしていると、時折良い臭いがしてくる。写真右、やや上部で立ち枯れをしているのはバジルで、これから漂う匂いだが、薬草やハーブを栽培するだけでなく、活用も考えなくてはならない。
やる事は山ほどあるのに、サボり癖が治らずに困ったものだ。

           薬草・ハーブ 自然ファーム

お芽出とう


朝起きると外はうっすらと雪化粧をしており、外気温が上がらないのこれがなかなか融けない。
軟弱者なので、こんな日に外へ出る元気も無く家に閉じ篭ったまま過ごす。

 それでも午後になると寒さが緩んできたので畑へと出かけ、ビニールのトンネルをチェックすると、ステビアが小さな芽をつけているのを発見!
冬至芽を付けていたので、保温すれば芽が出てくるのではと期待していたのだが、これを裏切らずにお芽出とうと新年の挨拶をしてくれた。
この時期に芽を出してくれると3月には挿し芽ができて、5月始めには多くの苗を畑へ植えられそうである。

 もう一つのトンネルハウスでツボクサの生き残りを見ると、こっちは残念ながら新芽は出ていないが、それでも引っこ抜いて調べると新しく小さな根を出している物もあって、かなりの低温でも活動はしているようだ。
日本に生えているツボクサは一属一種で、沖縄から北限の関東まで同じ物だと言うが、随分と適応力があるわけだ。東南アジアのツボクサはもっと葉が大きいとの声も有るけれども、本当の所は判らない。

 鈴鹿下ろしが吹きすさぶ中で、植物は春の準備を怠らない。明日と言う日が必ずしも保障されない歳になったが、春を待つ喜びは与えてくれる。